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30

Aug

子供

30代も半ばになると、周りの仲間や友人がドンドン子持ちになってくる。

これがまた困ったことに、その子供たちはみんな例外なくカワイイコたちでありまして、そういうコたちと触れ合ってると、未婚・コブなしのオレでもやっぱり、柄にもなく自分の次の世代のコたちのことも考えてしまったりするワケです。

オレだったら、自分の子供に何をしてあげるだろう、何をしてあげられるだろう、とかネ。

そういえば、オレが自分の親にしてもらったこと、与えてもらったことってなんだろう。

この世に生を与えてくれたこと、丈夫な体に産んでくれたこと、なに不自由なく育ててくれたこと。

これはきっと、当たり前のようだけど当たり前でない、感謝してもしきれないぐらいの大変なことなんだと思う。でもオレは、それらだけでなく、同じぐらい大切なものを与えてもらっている。

「教育」である。別に塾に通わせるとか、いい学校に入れるとか、そういう意味の「教育」ではナイ。それは数ある手段の中の一つでしかない。 本来「教育」というものはきっと、受け手がその人自身の足で立って自らの道を切り開く術や力を身につけさせるためのものである。その人自身のオリジナルな人生を全うするための手助けをするものである。

つまり「教育を与える」ということは「愛」に他ならない。子が親の手元を離れ新たな世界に行くことを厭わない、利他的な行為である。

また、正しく行われた「教育」は受け手の中でさらに自己増殖・変質し、受け手が自身を「教育」することを始める。自らの頭で考え始める。ここでやっと、受け手は生きていく世界や武器を見つけることになる。これは「教育」の大切な機能のひとつである。

いま、オレは自分の未来にワクワクしている。ベーシストとしてのオレ、ひとりの男としてのオレ、いろんなオレの未来。 目の前にはまだ探検していない世界がズーッと広がっているし、自分自身の中にもまだ開いてない引き出しがいっぱいある。スリリングで充実した毎日で、生きることが楽しくてしょうがナイ。

これはやはり両親の「教育」の賜物であるだろうと思う。自分の子供がいつか生まれたなら、同じような「生きる喜び」を与えてあげたいと思う。

両親に「ありがとう」と言ってはみたいが、なんだか言えない。

せめて、とりあえず、孫の顔を見せられるぐらいの親孝行はしてみたい。

まー、しばらくはないだろうケド。